くまモンどこじゃない!肥後もっこすか! [人]
ひと月ほど前、川上監督(僕らは世代的にそう呼んでいた)が亡くなりました。
そして一週間ほど前川上監督に県民栄誉賞が送られたと報じられました。
川上監督の自宅は近所であります。
ですからこの辺の人は皆、川上監督の自宅を知っています。
小学校の前にありますからことさら子供時分から知っているわけです。
(僕の通っていた小学校ではなかったでしたが)
V9時代でしたし。
とにかく川上監督。
子供のころは友だちと遊ぶのに自転車で前通ったり。
出前下げの時に前通ったり。
最近は散歩のコースで前通ったり。
もちろん本人をお見かけした事はありません。
前だけ通らせてもらってます。
監督を辞めて表舞台に出なくなって何年もたちます。
どのくらい前になりますか、散歩の時川上監督のお宅の前を通ると門扉の前にごらんのように手すりがつけられてました。
おばあちゃんの家にもつけてもらいましたが、足腰が弱った人のためにつける、よく見かけるタイプのものです。
川上監督もだいぶ足腰弱ってきてるのかな。
いくつぐらいになるんだろう?
もうけっこうな歳だよな。
そんな事を考えながら歩いていたのを憶えています。
そして!
5~6年前(もうちょっと前かも知れませんが)、散歩をしようと家から出たその矢先、世田谷観音の坂道の上から両手にリハビリ用の杖をつき川上哲治その人が歩いてきました。
その姿は今でもはっきり目に焼きついています。
鬼気迫る表情とはまさしくそうであると思いました。
まさしく「赤鬼」のようでありました。
懸命に
「負けない」
という気迫を出しながら歩いていました。
すごい迫力でした。
監督は坂道を懸命に歩いて下ってきました。
僕は歩いて上っていきました。
すれ違いざまその迫力に圧倒されましたが、すれ違ったその後振り返ったのは言うまでもありません。
しばし観音様の坂道に立ちすくみ川上監督の後ろ姿を見ていました。
やはりその後姿からも
「負けない」
しか感じられませんでした。
何に負けないのかは分かりません。
ですがその空気だったのは間違いありません。
先日亡くなられてから連日川上監督の事が報じられましたが、改めてその人となりを知りました。
そして、それを読み聞きするたび改めて鬼のような形相で足腰の鍛錬をしていた姿が思い起こされます。
すごい迫力でした。
それはそうです。
日本の長い歴史のプロ野球のトップ中のトップです。
誰かがテレビの中で言ってました。
「国民栄誉賞でしょう」
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