その名は、Gasa-Gasaクラブ [回想録]
半月ほど前、店を仕舞う頃電話がなりまして、でましたところ女性の声で
「明日は、お昼は何時までやってますか?」
と聞かれました。
「2時までですけど」
そう答えて電話を切りました。
次の日、1時を回って1時半。
そして、2時少し前、そのご夫婦はいらっしゃいました。
高倉健の健、菅原文太の太! [回想録]
ちょっと前、地上波で放送されていた映画「あなたへ」。
録画していましたが、なかなか観る機会がなくやっと観られたと思って、久しぶりに 健さんの映画を観たその2、3日後に訃報。
その後、いつものようにふと寄ったツタヤで借りた沢田研二主演、「太陽を盗んだ男」。
これに、この映画で日本アカデミー賞最優秀助演男優賞を受賞した菅原文太さんが刑事役で出ていた。
もちろん「仁義なき戦い」や「トラック野郎」観てきて育ってるんで懐かしいなぁと思いながら観ていました。
また、その後にすぐ訃報。
もう、十年以上前になりますが、、、
鮨屋でカウンターを挟んで、そりゃあもう目いっぱい健さんファンの地元の先輩と話しした事思い出しました。
三軒茶屋シネマ。 [回想録]
店、仕舞って、湯飲みに氷と焼酎と麦茶を入れ、白衣を脱いでそれを片手に店のテーブルに腰かけ、ひょいとフェイスブックを覗いてびっくりした。
その投稿。
しかも別々に二人から、同じ内容の件について触れられていた。
三軒茶屋シネマ閉館。
ホントだ!切れてる! [回想録]
いつものように仕込みしながら聞いていたラジオから流れてきた話。
原宿駅前の歩道橋が撤去されると。
理由は老朽化や、景観の問題、周辺住民の高齢化により年配の人が上り下りするのがたいへんになったと。
やってると思いますよ、あっちで。 [回想録]
彼はお洒落でしたね。
中学生の時の制服。
ズボンの折り目、いつもピシッとついてましてね。
立ち話なんかしていてもいつもそれを気にしていまして、指でつまみあげたりしているのが今でも印象的ですね。
一度聞いたことがあります。
「そのズボン、やっぱり寝押しかなんかしてるわけ?」
「そう。するけど、アイロンもかけるよ」
寝押しねぇ。
懐かしいですね。
昭和ですね。
もちろん上着の内ポケットにはクシがいつも入っていて事あるごとに髪の毛に当ててました。
今、クシなんか持ってる子いるんですかね(笑)
街は生きてる。 [回想録]
その「濱田家」さんの社長さんの奥様。
社長さんも奥様も僕と同年輩ほどなのですが、奥様はめったに渋谷へいくことが無いそうです。
旦那様は不思議がるんですよね。
何で渋谷行かないのかなって。
「あ、僕もホント、年に一回か二回ぐらいしか行きませんよ。用も無いですし」
と僕。
「それがわからないんだよね。この辺から一番近い繁華街じゃない。活気はあるし」
社長さん。
奥様は東京の世田谷出身。
社長さんは、京都出身です。
僕は三軒茶屋で生まれて育ちました。
二十代の頃勤めていた鮨屋の店も三軒茶屋でした。
しかし、僕は三軒茶屋、あまり好きではありません。
というよりか行っても所在無いというか・・・
もう、十年以上前になりますが、こんなことがありました。
秀ちゃん、まだ桜咲いてねぇよ [回想録]
3月は別れの季節といいますが・・・
鮨屋の裏手の中学校へ続く遊歩道は見事な桜で繋がれるのですが今年はまだ咲いていません。
またも友人の訃報が届きました。
小沢秀樹という名前で、秀ちゃんです。
彼とは小学生の時に知り合いました。
関西弁? [回想録]
前回に続きまた言葉のお話。
この二人の兄弟、僕の友達の息子さん。
夏に初島(こちら)行ったときのもの。
僕もちょくちょく一緒に遊んだりするんですけど言葉が、学校や幼稚園での友達の間での流行があるんでしょうが、楽しいですね。
テレビの影響でしょうか関西弁流行ですね。
最近僕と話している時によく言っているのは、
「気をつけなはれや」
とか
「メッチャ、旨い!」
とか。
そう言えば家の裏、中学校なんですけど下校する中学生達
「なんでやねん!」
なんて友達と話しながら鮨屋の横通っていきます。
言いまつがい? これ本当 [回想録]
先日、ある方と食事をしていて、そこはドリンクバーがあるところだったのですが、その方がコーヒーをいれてテーブルに戻ってくると
「なんか、ノイズがうまく動かなくてさ」
「?」
「かたくて」
「・・・」
わかりました。
そこのお店のコーヒーいれるマシンは冷たいのも温かいのもでるようになっているのですが、そこに貼ってあるんです。
「容器によってノズルの高さを調整して下さい」
本人、完全に僕に「ノズル」と言っているつもりで「ノイズ」と言っていました。
経木、折、そしてかんぴょう [回想録]
「一束三十分」に頂いたコメントで僕も幼い頃のことを思いだしました。
やはり僕もお弁当を持っていく時に、折は上等なのでその時分はよく使っていた「経木」にかんぴょうを巻いたものや玉子を巻いたものを包んで持って行かされました。
「経木」はご存知、下の写真にありますように木を薄く削り取ったものです。
これに巻物を入れ、経木ひも、我々は結草(ゆわいそう)というこれまた木を薄く削ったひもでとめます。
そして「都寿司」の屋号入りの包み紙。
「経木」は今で言えば簡易包装ですから、そのようなもので包んだものを子供に持たせたら食べる時に包みを開けたときの中身は想像しただけでぞっとします。
ましてや中身の巻物、母親が巻いたものですから包む時点で十分な完成品とはいえてません。